月面のカメレオン 3

ジョアンのアトリエからのつづき

そこは小学生から高校生まで、様々な家庭の事情を持つ子供たちがものづくりを体験し学ぶアートスクールだった。

校長先生と話をした後、私はセージョが受け持つクラスに連れて行ってもらった。私も子供たちと机を並べて絵を描く授業を受けた。

絵の他にも裁縫を教える先生がいた。

セージョは木工や陶芸も教えていた。また近くの森に子供達を連れて行く日もあった。彼は木の下で立ち止まって植物の説明をし、男の子は大きなカエルを見つけ捕まえようと池に飛び込み、女の子たちはケラケラ笑い、どこからか来た犬は私たちの列に加わり、皆で森の中を探検した。

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その町に日本人が来たことはないようで、初めて見る日本人を珍しがって「魚も生で食べるの?」など色々質問してきた。

私は何か子供たちにお返しできることはないかと思い、文房具屋さんへ行き色画用紙を買い、カエルや鶴や花の折り紙を作って持って行った。

子供達は興味津々で一緒に作った。男の子たちも自分で作った折り鶴を気に入ってしばらく持ち歩いていた。なんだか嬉しかった。

教室の棚には子供達が作った陶芸作品が並んでいた。この地方特産の石鍋とかまどのミニチュア。

この地方は郷土料理が美味しくて有名と聞いていたが、それは良質な石が採れ、この石鍋が生まれた土地だからだろうと思った。

子供が作ったかまどは、マーラがいつも豆を煮炊きしていたかまどを思い出させた。

ジョアンも奥さんのマーラも、毎日昼ごはんの時間になると、青空アトリエで作業をしている私に「お昼だよ、ご飯を食べよう」と知らせに来てくれた。

作業させてもらっているのに更にお昼までご馳走になるわけにはと、自分で食べるから大丈夫ですと意思表示をすると、何を遠慮しているのかわからないといった様子で、食べろ食べろ当たり前だよと勧めてくれた。

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アートスクールでも私は子供たちに混ざって、給食をいただいていた。

私はさしづめ Sempre vivo recebendo (いつももらって生きている)だ。

私の出会ったブラジル人は、大人も子供もいつも自分が持っているものをシェアしようとしてくれた。仲間思いというのか、その仲間には今知り合ったばかりの人も勘定に入るようだった。

ブラジルは、先住民ルーツ、アフリカ系、ヨーロッパ系、アジア系と多人種が暮らす多文化国家だった。強烈な経済格差や治安の悪さを嘆く声も耳に入った。

私はブラジルの南東部から北部にかけて移動した。都市部では何重もの鍵と有刺鉄線で家を守り、田舎の町では扉に鍵をかけないようなところもあった。

高層アパートでは、開け放たれた全面ガラス張りの窓から、手に届きそうな青空と遠くまで続くビーチを眺めた。

小高い丘の上のファベーラでは、小さな姉妹に先導され、入り組んだ薄暗い路地をどんどん進んだ。彼女たちの家に着いた時、目の中に夕陽のオレンジが飛び込み、眼下に広がる街並みを見た。
この国は複雑でシンプルで、あらゆる色に溢れていた。どこへ行ってもブラジル流の一期一会があった。

アートスクールで子供たちと陶芸をした日、私はカメレオンと石鍋をモチーフに選んだ。

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月面のカメレオン

魂に色はないと André Abujamra は歌った。

ナビゲーターは魂とブルーハーツは歌った。

月は何色?明日はどこへ行く?

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