旅立ちのおにぎり。
生まれてからこれまで何個おにぎりを食べてきただろう。
ふとした時に思い出すおにぎりが二つ、いや三つある。
人にはそれぞれ、そういう食べ物や飲み物が、人生の中にポツポツあるのかもしれない。
ブラジルの地方都市、たくさんの人でごった返す高速バス乗り場のベンチで、私は膝の上のお弁当の包みを開けていた。出発前にバレリアが持たせたくれたものだった。
焼きたてのパイと一緒に、おにぎり3個と、ゆで卵、りんごも入っていた。ブラジルでおにぎりを持たされる日が来るなんて出国前はつゆも思わなかった。
南米に移住すると決め、サンパウロからスタートした手探りの旅は、リオデジャネイロからミナスジェライス州に移った。
そして数ヶ月。たくさんの出会いと友情、時にケンカ、あふれるほどの厚情、笑いと涙。カラフルな国のカラフルな日々。
リオデジャネイロを離れる時、「できるだけ何も決めない」ということを決めた。次の町でたまたま入ったレストランで、あたたかい出会いがあり、気づけばその町に長く滞在した。
バレリアはそのレストランでマクロビオティック料理を提供していた。私は彼女の店で味噌や米を買った。また料理の撮影と交換に時々ランチをいただいた。
建物のオーナーのナポは日本にも来たことがある禅僧だった。彼はレストランの上の部屋を私に貸してくれた。ナポはたくさんの本と映画のDVDを持っていた。私たちはたくさん話をし、意見を交わした。色んな国の映画を観た。とてもゆっくり歩くことと瞑想を教えてもらった。心地よい風が吹く開放的なテラスと静かな暮らしがあった。そこではいつも自由を感じることができた。だからだろう、野良人間の私がめずらしく長く居着いた。
ナポが繋いでくれた人の中に、日系人のマルちゃんがいた。彼女と彼女の家族も私と多くの時間を共有してくれた。私がブラジルを知り、文化や暮らしに浸透していくのを自然に支えてくれていた。
私は荷物を預けて、更に内陸部へ陶芸の村を探す旅に出た。ナポのその場所はブラジルの私の帰る家になっていった。
ナポの家にはリリーという名の黒猫がいた。
私がテラスで書き物をしたり粘土造形をしていると、よく側に来た。
先住猫は二匹目の私を受け入れてくれた。
私は最終的にその町に根を張ることを決め、移民局へ行った。
しかし延長していたビザの有効期限はどんどん近づいていた。
結果的に私はアマゾン川を遡ってブラジルを出国することにした。
バス乗り場の水色のベンチに座り、おにぎりを食べながら出発を待っていた。これまでの日々、出会った人々の顔を一つ一つ思い出していた。
「そういえば前にもこういうことが…」
出発の日の朝におにぎりをもらい、高速バスの中で、滲む視界の中もくもくと食べていた情景を思い出した。
私がKADOYAを立つ日の朝、かつての仕事仲間だったオダジイが原付に乗ってやって来た。出勤途中だったので、おにぎりの入った袋を差し出しそのまま走り去った。
二回り年が離れていたけど、一番気が合い、よく遊んだ。しょっちゅう家にも行きご飯をご馳走になった。一度、おかわりし過ぎて、炊飯器を開けたオダジイから「明日のお弁当の分がないやんか!」と怒声が飛んできたこともあった。
しょっぱいぜ
おにぎり
旅立ち