スイスに住んでいた時、たくさんの人からたくさんの友情、返せないほどの親切をもらった。
そこは小さくて、緑が豊かで何もないけど何でもある町だった。
映画館もスーパーも大きな公園も病院も駅も図書館もどこにでも歩いて行くことができた。路線バスが町中を縦横無尽に走り、朝早くから夜遅くまで利用することができた。誰にとっても便利で住みやすい町のように思えた。
その町には鋳造制作で訪れた。自転車で町を走っている時、知らない場所なのにやっと故郷に帰ってきたような感覚を覚えた。二年ほど経ち、そこを離れなければならなくなった。
それからあちこちの町や国を転々とした。
ある島に来て数ヶ月経った頃、このままここに住むのかもしれないと思い、久しぶりに道具を取り寄せて、指輪を作った。
完成した指輪を見て、スイスを思い出していたのかなと思った。
スイスの町は陸橋の多い町だった。
暮らしの風景のあちこちに橋があった。遠くの景色の中や、目の前に聳えていたり、今から通るところだったり。
私の住んでいた町から電車で一山超えたところに、友人家族が住んでいた。
赤い3、4両編成の電車に乗ってしばらくすると、急な斜面をカーブを描きながら上り始める。車窓の景色がどんどん変わる。トンネル、ホームで待つ人、電車と並走する車、見覚えのあるレストランの看板を過ぎたら、目的の駅に着く。電車を降りると、黒い熊の紋章の旗がはためいている。見慣れた景色。
少ない荷物でやって来た私に、暮らしに必要な手続きを手伝ってくれたり、ベッドや机など家具を貸してくれたり、親身になってくれる人たちがいた。
何人かには部屋を貸してもらった。ある人は物件探しや内覧に付き添ってくれた。自分のアトリエを持った時は、ランプや食器を持って来てくれた。
個展の時は、搬入からワインの準備まで、配置に夢中でおもてなしに気が回らない私に変わって、心を配ってくれた。
制作がギリギリの時や、一人で難しい工程の時、休日を返上して完成を手伝ってくれた。
音を集めてた時は、録音機器を持って一緒に歩き回ってくれた。
あるインスタレーションの時はレコードプレーヤーを、ある時はプロジェクターを貸してもらった。
子供たちはドイツ語の先生でもあった。
夏の川遊び、仕事終わりの水泳、気ままな散歩、焚き火とウインナーの焼き方、カードゲーム、月夜のソリ遊び。
その町の、その日々の、その国の文化を、スイスのたくさんの友人・知人に教えてもらった。
返しきれない感謝は、時々記憶の底からから上がってくる。
まわる記憶、まわる電車、まるい指輪。
感謝は二人羽織にして次の町へ連れて行けばいいだろうか。
今はそれで行こう。