“我々はどこからきてどこへ行くのか?”
子供の頃、寝るまでの時間をとても長く感じていた。布団に入るととめどない空想と妄想がどこまでも広がり、時に怖い想像へと変わる。だから、なんとか早く眠りに落ちようとしていた。
六歳のある晩、母が様子を見に来ると、私は静かに泣いていた。驚いて訳を尋ねると「自分がどこから来てどこへ行くかわからない。それを考えると眠れない」と答えたそうだ。
ゴーギャンの頃もその後も、人間の持つ普遍的な問いの一つだろう。
三十代の終わりに一年近く、住む街を探して南米を旅した。記憶の中の風景になった町にネオン看板を掲げる。すると通り過ぎたその場所が写真の中で生きている(永遠に繰り返される”今”を見ている)ような錯覚を覚える。
ワレワレハ ドコカラキテ ドコヘイクノカ
毛のないサルになっても、人類の旅は続く

ブラジル、アマゾン川の支流の町
サッカー場と学校と店が数軒の小さな島に降りた。教会を通り過ぎて黄色い壁の店の前まで来た時、後ろからついて来ていた犬が追いついた

乾季のアマゾン川、昔ながらの暮らしの中へ
乾季、家々は水面からかなり高い位置にあり、その下でヒヨコや子犬が涼んでいた。家の主が捕ったアナコンダの皮は部屋の端から端までの長さがあった。

水上商店
夜、魚突きに着いて行った。碧い闇の中をボートは音もなく進み、懐中電灯の光が魚を探して水中を駆け回った。驚いた魚が弧を描いてボートの中に飛び込んできた。水上コンビニは閉まっていたが、少年が網の手入れをしていた。

乾いた土地、夜の町、散歩
陶芸の村を探して旅をし、赤土色の町にたどり着いた。一ヶ月滞在し、石の彫刻や陶芸制作に没頭した。二組の家族に住まいを提供してもらった。永遠に続きそうな日常はいつも旅の途中に。

出発の港町
ブラジルのビザの期限が近づき、アマゾン川の河口の町へ向かった。ここから約一ヶ月、川を遡上し国境を目指す。まずは船内で寝るためのハンモックを買いに行く。

エクアドル、海辺の夕暮れ
9月の海はまだ冷たかった。遠浅の浜辺をチドリが走り回り、木陰でイグアナの大集団が雑魚寝していた。日が完全に沈むまで砂浜をどこまでも歩いた

アシカの灯台
遠くに見えた灯台に近づくと、入り口にアシカが寝ていた。中の螺旋階段にもアシカが寝ていた。一番上の見晴台にもアシカが寝ていた。
