“我々はどこからきてどこへ行くのか?”
ゴーギャンの有名な絵のタイトルだが、私も6歳の頃ある晩、同じセリフを泣きながら母に尋ねた、らしい。後から聞いた。人間の持つ普遍的な問いの一つだろう。
私は一年近く、住む街を探して南米を旅していた。記憶の中の風景になった町にネオン看板を掲げる。すると通り過ぎたその場所が写真の中で生きている(永遠に繰り返される”今”を見ている)ような錯覚を覚える。
ワレワレハ ドコカラキテ ドコヘイクノカ
毛のないサルになっても、人類の旅は続く

ブラジル、アマゾン川の支流の島の町
サッカー場と学校と店が数軒の小さな島だった。教会を通り過ぎてある店の前に来た時、ちょうど後ろから来た犬が追いついて片足を上げた

アマゾン川の支流、昔ながらの暮らしがある島
乾季は、家々は水面からかなり高い位置にあり、その下でヒヨコや子犬が涼んでいた。家の主が捕ったアナコンダの皮は部屋の端から端までの長さがあった。

アマゾン川に浮かぶ水上商店
夜、魚突きに着いて行った。碧い闇の中をボートは音もなく進み、懐中電灯の光が魚を探して水中を駆け回った。驚いた魚が弧を描いてボートの中に飛び込んできた。水上コンビニは閉まっていたが、少年が網の手入れをしていた。

乾いた土地、夜の町、散歩
陶芸の村を探して旅をし、この町にたどり着いた。一ヶ月滞在し、石の彫刻や陶芸制作に没頭した。二組の家族に住まいを提供してもらった。永遠に続きそうな日常はいつも旅の中に。

出発の港町
出国の期限が近づき、アマゾン川の河口の町へ向かった。この町から約一ヶ月、川を遡上し国境を目指す船旅が始まる。まずは船内で寝るためのハンモックを買いに行く。

エクアドル、海辺の夕暮れ
9月の海はまだ冷たかった。チドリが走り回り、木陰でイグアナの集団が雑魚寝する遠浅の浜辺をどこまでも歩いた

アシカの灯台
遠くに見えた灯台に近づくと、入り口にアシカが寝ていた。中の螺旋階段にもアシカが寝ていた。一番上の見晴台にもアシカが寝ていた。
